2022年10月19日水曜日

コピペ 岸田首相の旧統一教会「調査」は時間稼ぎと論点ずらし “安倍・細田隠し”で自民ニンマリ 日刊ゲンダイDIGITAL

岸田首相が17日、旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に対し、宗教法人法に基づく調査を行うよう永岡文科相に指示した。まずは専門家会議を25日に開き、「質問権」行使の基準をまとめるところから始めるというから、実際の調査はいつになるのか。「時間かせぎ」の思惑が透けて見える。

岸田首相は17日の衆院予算委員会でいつになく積極的だった。旧統一教会の調査に関してだけでなく、高額寄付被害の実態を踏まえて「契約の取り消し権の対象の拡大や行使期間の延長を行う」と答弁し、消費者契約法などを改正する考えを表明。

「法テラス」などの相談体制拡充や児童虐待などの子どもの被害防止、「宗教2世・3世」への進学・就労支援についても取り組みを強化すると打ち出した。

立憲民主と維新が共同提出した被害者救済法案に盛り込まれた「特別補助制度(家庭裁判所が認定すれば、被害者の家族などが寄付を取り消せる制度)」について、「一度考えてみたいと思う」「法改正が必要だという認識も野党側と一致していると思う」と答弁するなど、野党と共同歩調を取る可能性まで示唆したのだ。

宗教2世の元信者の「教団を解散させてください」という涙ながらの訴えや、高額献金などの被害救済にあたってきた弁護士らの訴えを聞けば聞くほど、被害者救済や教団の調査・解散が何よりも重要であることはよく分かる。

だが、この流れに自民党はニンマリだ。

「世論の関心が教団自体の問題や被害者救済に向かえば、自民党と教団との関わりに対する批判は薄れるのではないか。イベント出席など関連団体を含めた党所属議員の接点もある程度、出尽くした。岸田首相の『表明』で、政権や自民党への風当たりが弱まることを期待している」(自民党関係者)

「教団票差配」も調査が必要

15日には安倍元首相の地元山口県で県民葬が執り行われ、一連の追悼行事にひと区切りがついた。本来なら今こそ、安倍氏が長年どっぷり関わってきたとされる、選挙での教団票の差配について調査すべきなのだ。国際勝共連合会長が内部の礼拝で明かした「この8年弱の政権下にあって6度の国政選挙において、私たちが示した誠意」とは何を意味するのか。

教団票の差配には、安倍派(清和会)の会長だった細田議長も関わっていたとされる。細田氏はいまだ「紙対応」だけで、自らの口で教団との関係について説明してはいない。

国民の関心とメディアの報道が教団の調査に集中すれば、選挙を通じた自民と教団のズブズブが、このままあやふやにされてしまう恐れがある。

「岸田首相は教団を解散させてくれるのではないか。そんなムードをつくり、論点ずらしで安倍隠しや細田隠しをする作戦なのでしょう。『家庭』を重視する政策や改憲論まで自民と教団が一致してきたことを、どう説明するのか。教団の解散命令や被害者救済は当然のこととして、野党は教団と自民党の癒着についての追及も続けなければなりません」(政治評論家・本澤二郎氏)

毎度の手口にだまされてはいけない。


2022年9月28日水曜日

コピペ 統一教会問題“反省なし”の自民が回覧する鈴木エイト氏“中傷怪文書”を独占入手 本人は「デタラメばかり」と失笑 SmartFLASH

「じつは"鈴木エイトは競売に出た不動産物件を買い漁る金の亡者だ"などと攻撃する怪文書が、一部の自民党関係者の間に出回っているんだよ。統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題で、党を挙げての大騒ぎ。"苛められた"連中が、こんなもので鬱憤を晴らそうとしているのかもしれないな。萩生田さんが"逆ギレ"しているように、誰にも反省の色はないからね…」

と語るのは自民党関係者。鈴木エイト氏といえば、舌鋒鋭く統一教会を追及することで知られるジャーナリストだが「萩生田さんの"逆ギレ"」というのは、この問題をめぐり萩生田光一政調会長が「あの鈴木某は赦さない」と発言したとされていることを指している。

"怪文書"について身に覚えがあるか、鈴木氏に直接尋ねると、なんと本人が現物を入手していた。

「出回っているのなら、おそらくこれと同じものでしょう」と、鈴木氏が差し出した文書を見ると、たしかにあることないこと好き勝手にあげつらっている怪しげな文書だ。文中では、「鈴木氏の本業は大工」となぜか決めつけ、統一教会をはじめとする宗教団体を執拗に追うのは、カネのためであるかのように書いている。さらに「不幸な人たちの上前をはねる」ように競売にかけられた不動産を鈴木氏が続々と買い漁っていると、断じているのだ。おまけに、鈴木氏の家族構成を取り上げ、職業などのプライバシーを暴く形で取り上げている。

鈴木氏本人はこの中身を「デタラメばかりです」と一笑に付す。

「内容からすると、3年ほど前の情報をもとに書いているのでしょうね。そもそも僕は、大工ではありません。趣味でそういうことはやってはいますが…。競売物件を買っているのも事実ですが、それを一律に『資産を泣く泣く手放した人を食い物にしている』と書くのは無理がありますよ。それでも僕のことをそう思いたいなら、どうぞご自由にという感じですね。ただ、家族のことを悪くいうのは許せません。いずれにしても、この文書の書きぶりは下劣で、書いた人間の品性も推して知れるというものです。この文書の存在は、政界に通じているある人から教えてもらいました。これを書かせた人物は、政治家たちの間で、僕の信用を落としたいのでしょうね」

今後も、スキャンダルを探られたり、捏造されたりする可能性はあると鈴木氏は考えている。

「以前"白い旅団"と名乗るうさん臭い集団が、統一教会の問題に取り組む弁護士たちのスキャンダルを捏造したりしていました。そのときと同じ面々が、現在も動いているという話が入ってきています。それならそれで、追及のモチベーションが高まります」

萩生田氏については、鈴木氏はこう語る。

「萩生田さんがそういう発言をしたと聞いたので、鈴木某とは僕のことかなと思い『政権与党の政調会長が「赦さない」とは何を意味しているのか』とツイッターで述べたのです。しかし、その後何も反応がないため、真偽は不明です。何が許せないのか、説明してほしいですね」

政界をめぐる統一教会の問題は、まだまだ根深い。政治アナリストの伊藤惇夫氏はこう指摘する。

「統一教会の会員は、いまも政界に深く入り込んでいますよ。議員会館の中にも、私設秘書だとか事務員といった形で、2桁単位の人員が潜り込んでいると、ある国会議員から聞いています。彼らは定期的に情報交換しているという話まである。自民党は、そう簡単に排除できませんよ」

鈴木氏が矢面に立つ日々は、まだ続く。


2022年9月25日日曜日

コピペ 安倍時代が残した最大の負の遺産は「国力が衰微しているという事実が隠蔽されている」こと(内田樹)日刊ゲンダイ

この10年間で日本の国力は劇的に衰えた。経済力や学術的発信力だけではない。報道の自由度、ジェンダーギャップ指数、教育への公的支出の対GDP比ランキングなどは「先進度」の指標だが、そのほとんどで日本は先進国最下位が久しく定位置になっている。

だが、「国力が衰えている」という国民にとって死活的に重要な事実そのものが(報道の自由度の低さゆえに)適切に報道されていない。安倍時代が残した最大の負の遺産は「国力が衰微しているという事実が隠蔽されている」ということだろう。

国力はさまざまなチャートでの世界ランキングによって近似的に知られる。1995年は世界のGDPのうち日本は17.6%だったが、現在は5.6%である。89年の時価総額上位50社のうち日本企業は32社だったが、現在は1社。経済力における日本の没落は顕著である。

■国際社会にビジョンを示せなかった没落の10年

だが、日本のメディアはこの経年変化についてはできるだけ触れないようにしている。だから、多くの国民はこの事実そのものを知らないか、軽視している。それどころか、政権支持者たちは安倍政権下でアベノミクスが成功し、外交はみごとな成果を上げ、日本は世界的強国であるという「妄想」のうちに安んじている。

安倍時代における支配的なイデオロギーは新自由主義であった(今もそうである)。すべての組織は株式会社のような上意下達組織でなければならない。「選択と集中」原理に基づき、生産性の高いセクターに資源を集中し、生産性の低い国民はそれにふさわしい貧困と無権利状態を甘受すべきだ。そう信じる人々たちが法案を作り、メディアの論調を導いてきた。その結果がこの没落である。

だが、誰も非を認めない。すべては「成功」したことになっている。それは、政権与党が選挙に勝ち続けたからである。安倍元首相は6回の選挙に勝利した。しばしば圧勝した。この結果が「国民の過半は安倍政権が適切な政策を行ってきたと判断した」ことを証し立てていると政府は強弁した。

株式会社ではトップに全権が与えられる。トップのアジェンダに同意する社員が重用され、反対する社員ははじき出される。それが許されるのは、経営の適否についてはただちにマーケットが過たず判定を下すと信じられているからである。「マーケットは間違えない」というのはビジネスマンの揺らぐことのない信仰である。社内的にどれほど独裁的な権力をふるう経営者であっても、収益が減り、株価が下がれば、ただちに退場を命じられる。

国の場合は「国際社会における地位」が株価に相当するだろう。経済力、地政学的プレゼンス、危機管理能力、文化的発信力などで国力は表示される。その点で言えば「日本株式会社の株価」は下落を続けている。

しかし、安倍政権下で経営者は交代させられなかった。もし、経営が失敗し、株価が急落しているにもかかわらず、経営者が「すべては成功している」と言い続け、それを信じた従業員たちの「人気投票」で経営者がその座にとどまりつづけている株式会社があったとすれば(ないが)、それが今の日本である。

新自由主義者たちは「マーケットは間違えない」と言い張るが、彼らが「マーケット」と言っているのは国際社会における評価のことではなく、選挙結果のことなのである。選挙で多数派を占めれば、それはすべての政策が正しかったということなのだ。

だが、選挙での得票の多寡と政策の適否の間には相関はない。亡国的政策に国民が喝采を送り、国民の福利を配慮した政策に国民が渋面をつくるというような事例は枚挙にいとまがない。政策の適否を考量する基準は国民の「気分」ではなく、客観的な「指標」であるべきなのだが、安倍政権下でこの常識は覆された。

決して非を認めないこと。批判に一切譲歩しないこと。すべての政策は成功していると言い張ること。その言葉を有権者の20%が(疑心を抱きつつも)信じてくれたら、棄権率が50%を超える選挙では勝ち続けることができる。

■人間は騙せても、ウイルスに嘘は通じない

安倍政権が最終的に終わったのはパンデミック対策に失敗したからである。人間相手なら「感染症対策に政府は大成功している」と言って騙すことはできるが、ウイルスに嘘は通じない。科学的に適切な対策をとる以外に感染を抑制する手だてはないからだ。

だが、安倍政権下で政権担当者たちは「成功すること」と「成功しているように見えること」は同じことだと本気で信じ始めていた。

だから、「どうすれば感染を抑えられるか」よりも、「どうすれば感染対策が成功しているように見えるか」ばかりを気づかった。菅政権下の東京五輪の強行に際しても、「感染症が効果的に抑制されているように見せる」ことが優先された。それを有権者が信じるなら、それ以上のことをする必要はないと思っていたのだ。今の岸田政権もそう思っている。

パンデミックについても、気候変動についても、東アジアの地政学的安定についても、人口減少についても、トランス・ナショナルな危機に対してこの10年間、日本はついに一度も国際社会に対して指南力のあるビジョンを提示することができなかった。

司馬遼太郎は日露戦争から敗戦までの40年間を「のけて」、明治の日本と戦後の日本を繋ぐことで敗戦後の日本人を自己嫌悪から救い出そうとした。その風儀にならうなら、安倍時代という没落の時代を「のけて」、10年前まで時計の針を戻して、そこからやり直すしかない。

▽内田樹(うちだ・たつる) 1950年東京都生まれ。思想家・武道家。東京大学文学部仏文科卒業。専門はフランス現代思想。凱風館館長、神戸女学院大学名誉教授、芸術文化観光専門職大学客員教授。近著に「複雑化の教育論」「撤退論」「教育鼎談」など。


2022年9月16日金曜日

コピペ 安倍、菅、甘利、岸田…権力者たちが「言葉を破壊し続ける」この国の「悲惨な現実」 現代ビジネス

「暮し」を軽蔑する政治家たち

『暮しの手帖』初代編集長・花森安治が「暮しを軽蔑する人間は、そのことだけで、軽蔑に値するのである」という言葉を残している。この度刊行した『暮しの手帖』での連載をまとめた一冊『今日拾った言葉たち』の作業を進めながら、とにかくよく、この言葉を思い出した。新型コロナウイルス感染拡大の中で、この国の為政者は繰り返し私たちの「暮し」を軽蔑してきた。具体例はいくらでもあるが、二つほどあげてみる。

安倍晋三「私が責任を取ればいいというものではありません」(2020年4月7日)

菅義偉「私が目指す社会像、それは自助、共助、公助、そして絆であります。まずは自分でやってみる」(2020年9月16日)

最初の発言は、新型コロナウイルスについての記者会見で、イタリア人記者から「日本の対策がもし失敗だったら、どのように責任を取るのか?」と問われた際の答えである。これまで、政治は結果責任、と繰り返し述べてきた人が、いざ、結果が問われる局面になった途端、「責任を取ればいいというものではない」と逃げる準備を急いで始めていた。それは、不安を抱えている人たちをさらに不安にさせる言葉だった。

続く菅前首相の発言は、首相の就任会見でのこと。コロナ禍で公助のあり方が問われ続けたが、まずは自分でやってみて、公助に頼るのは最後にしてほしいと述べた。エンターテイメント業界に従事している人に生活不安を抱えている人が多いとの指摘を受けて、フリーランスとフリーターを混同しながら答えたこともあった。とことん、「暮し」が見えていない。そもそも、見ようとさえしていなかったのかもしれない。

前任の二人の首相との差別化を図るためにも、岸田文雄首相が自民党総裁選で胸の前に突き出しながら強調したのが「岸田ノート」。このように、とにかく自分は人の話を聞き、メモをして、それを政治に反映させていくのだと繰り返していた。

わずか1年ほど前のことだが、今では、「岸田ノート」には何も書かれていなかったのではないかと疑いたくなるほど、国民を見ず、後ろを振り返りながら党内のパワーバランスばかり気にしている。「暮し」は軽蔑されたままだ。

見晴らしが開けるような言葉

日々、生活しているとありとあらゆることが起こり、そして、流されていく。『暮しの手帖』での連載をまとめた『今日拾った言葉たち』では、そうならないよう、流れてくる言葉を受け止めて考えてみた。隔月で刊行される雑誌にどのような言葉を載せようかと、新聞を読み、テレビを見て、ラジオを聞いて、そして、インタビュー取材を通じて印象に残った言葉を書き留めながら、その時々に出会った「言葉たち」について考察を続けてきた。

本書の「まえがき」を、「暮しを軽蔑する人間は、言葉を大切にしない人間だ。それをひっくり返して、言葉を大切にする人間は、暮しを軽蔑しない人間だ、なんて言えるかもしれない。もう何年も、言葉を拾い続けながら、そう思い続けている」と締めくくった。

先述したような政治家の言葉も数多く取り上げているが、それ以外にも、個人的に自分を支える背もたれとなるような言葉もいくつも取り上げた。人間は言葉によって動くのだから、その言葉がだらしなくなっていくのが許せないし、食い止めるような言葉を集めれば、見晴らしも変わってくるはずなのだ。

ライターの長田杏奈氏が、私が担当しているラジオ番組のゲストコーナーに出演した時に、「社会問題わらしべ長者」という言葉を使っていた。ある社会問題について、「これは自分には関係ないことだ」と遮断してしまえばどんな社会問題も遠ざかってしまうが、そうではなく、この問題がなぜ起こるのかを考えていくと、散らばっているように見えた問題がつながっていく。

とりわけ、ジェンダー問題について関心を持った結果、社会への視野が広がったとして、こうした状況を指して「社会問題わらしべ長者」と述べた。本書にも収録したが、こうやってつなげていけばいいのだ。「それはあなたの問題でしょ」と誰かを切り捨てようとする動きへの抵抗にもなる。

「真摯に受け止め」「全力を尽くして」

今、目の前にある問題について、じっくり考えさせないようにする言葉が流れてくる。よく言われるように、「誤解を与えたとしたら申し訳ございません」という謝罪は、あたかも、自分的には問題はなかったんですけど、受け止める側の無理解でこうなりましたと言いたげだし、「以降はこのようなことがないように気をつけてまいります」という言い分は、今起きている問題を追及されるのを回避する言い方である。

安倍元首相の国葬実施が世論の反発を招いているが、岸田首相は8月31日の会見で、「御意見、御批判を真摯に受け止め、正面からお答えする責任があります。政権の初心に帰って、丁寧な説明に全力を尽くしてまいります」と述べた。短い言葉の中に、「真摯に受け止め」「初心に帰って」「全力を尽くして」が入っている。これ、政治家がその場限りでなんとか乗り越えようとする時に頻出するワードばかりだ。

このところ、政治家が言葉を壊し続けてきたが、岸田首相は、壊れた後に残った、政治家にとって使い勝手のいい言葉ばかりを使っている。「岸田カラー」はいつまでも見えないが、残った絵の具を使っているのだから、自分のカラーは作り出せるはずがない。無論、言葉も同じである。

旧統一教会と、自民党を中心とした政治家とのかかわりが問題視されているが、いつものように、いい加減に言い訳しておけば逃げられるだろうと企む政治家から、あまりにも雑な見解が流れてくる。

たとえば、山際大志郎経済再生担当大臣。自身の秘書の中に旧統一教会の信者がいたのではないかとの報道を受け、再度調査をするかと記者会見で問われ、「確認できないのは調査をした上で、確認ができないと申し上げているので、同じことを調査しても確認できないという結果しか出ないんじゃないでしょうか」と答えている。

何度か繰り返して読んでみるが、ちっとも意味がわからない。山際大臣はいつも真顔だ。真顔でとんでもないことを言う。それ、説明になっていないですよ、と返しても、また真顔で奇天烈な見解を並べる。なぜこうなのか。理由は明確である。これまでも、先輩たちがそれで逃げてきたからである。

「記憶を確認する」

本書『今日拾った言葉たち』で用いた政治家の言葉に次のようなものがある。記憶している人はいるだろうか。

「記憶を確認して、1週間以内にはお話しできると思います」

これは、大臣室や地元事務所で建設会社などから現金を受け取りながら、政治資金収支報告書に記載していなかった金銭授受問題が発覚、経済再生担当大臣を辞任した甘利明氏が、辞任6日前に述べていた言葉である。

で、「記憶を確認する」ってなんだろう。記憶って、確かにちょっと時間をかけて辿るものもあるけれど、それは「えっと、ここのお店に来たことってあったっけな?」と振り返るくらいのもので、金銭授受について、何日もかけて記憶を確認するって一体どういうことなのだろう。

どういうことでもないのだ。トンチンカンなことを言っても、主要メディアが素直に「甘利大臣は、『記憶を確認する』と述べ、明言を避けました」などと報じてくれるのを知っているのだ。「この人、『記憶を確認する』とか、とてもバカらしいことを言ってますが、なんで直ちに辞めないのでしょうか」が無難な原稿だと思うのだが、そうはならない。

こんなことが繰り返された結果、言葉が壊れ、「暮し」が軽蔑される。自己責任社会が強化され、「まずは自分でやってみる」と国のトップが言ってしまう。問題視されている事案への説明を求めても、瓦礫のような言葉をつなぎ合わせて、「真摯に受け止め、初心に帰って、丁寧な説明に全力を尽くしてまいります」と返ってくる。

とても困る。でも、そればかりが繰り返されるので、うっかり、この状態に慣れてしまう。順応してしまう。間もなく開かれる安倍元首相の国葬にしても、彼が深くかかわっていた旧統一教会問題についても、「いつまで指摘しているんだ」と、指摘するほうをなじるような声が少しずつ出てきている。これぞ、いつもの流れである。言葉を壊した人たちは、ちゃんと語らなければ、物事が曖昧なまま放置されることを経験則として知っている。だから、真顔で壊れた言葉を使う。

これだけ壊れてしまった言葉をどうすれば立て直せるのだろう。劇的な処方箋は存在しない。それぞれ、指摘し続けるしかない。あまりにつまらない結論である。幸いにも世の中には豊かな言葉に溢れていて、そういう言葉を大切に摘むと、社会への見晴らしを保てる。

本書をまとめる作業をしながら、言葉を軽視する流れを断ち切るためには、言葉を探しながら受け止めていくしかないとの考えに至った。これまたつまらない結論だけど、結論がキャッチーである必要はないのだし、流行りの「論破」的な方面に乗っかって、斬新な見解を提示する必要もない。

言葉を軽蔑する人間は、そのことだけで、軽蔑に値する、と思う。「確認できないのは調査をした上で、確認ができないと申し上げているので、同じことを調査しても確認できないという結果しか出ないんじゃないでしょうか」なんて言う人には、「早く辞めろ」だけでいい。壊れた言葉を使う彼らは、私たちの生活を舐めているのだ。

 武田砂鉄

2022年9月2日金曜日

コピペ 自民党の旧統一教会「絶縁宣言」で思い出される かつて安倍元首相が民主党に向けた言葉 日刊ゲンダイDIGITAL

「守ることができない議員がいた場合は同じ党では活動できない」

8月31日の党役員会で、所属国会議員に対し、今後は世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係を絶つよう徹底するなどとした基本方針を確認した自民党。茂木敏充幹事長は記者会見でこう説明し、方針を順守できない議員に離党を求める可能性に言及した。

同党は既に祝電送付や会合出席、選挙支援など8項目にわたり教団や関連団体との関係を尋ねるアンケートを所属議員に配布し、9月2日までに回答するよう求めている。

だが、アンケートはあくまでも各議員の「個別点検」によるもので、ネット上では、<旧統一教会系の秘書が「関係ありません」とアンケートに答えるわけ?>、<どこまで意味あるの>などと実効性に対する疑問の声が出ている。

岸田文雄首相(党総裁)は「所属議員は過去を真摯に反省し、しがらみを捨て当該団体との関係を絶つことを党の基本方針とし、徹底する」と指示していたが、選挙に勝つために「反社会的勢力」とも指摘されている教会と結んだ両者の「絆」は果たして断ち切れるのか。

■民主党と共産党の「共闘」について…

そんな中、あらためてネット上で拡散しているのが、2016年3月の自民党大会での安倍晋三元首相のあいさつだ。安倍氏は翌4月の衆院北海道5区補欠選挙と夏の参院選を見据え、当時の民主党と共産党が共闘して戦うことについて、こうけん制していたのだ。

「選挙のためだったら何でもする。誰とでも組む。こんな無責任な勢力に負けるわけにはいかない」

ちなみに2016年の参院選で、安倍氏と近しい関係にあった旧統一教会の友好団体から支援を受けた、とメディアの取材に明かしていたのは自民党の前参院議員の宮島喜文氏だ。

<いやはや、まさに選挙のためだったらカルト教団とも手を組む張本人だったな>

ネット上では、安倍氏の発言を揶揄する言葉が続々と投稿されている。


2022年8月28日日曜日

コピペ 金平茂紀氏 国葬「全国民反対でも閣議決定なら実施」政府見解を批判 「法の番人の現在の実に情けない姿」

 キャスターの金平茂紀氏が27日、TBS系「報道特集」(土曜後5・30)に生出演し、7月に銃撃され死亡した安倍晋三元首相(享年67)の国葬実施をめぐる論議で、政府を厳しく批判した。

 立憲民主党の国対ヒアリングが23日、開催され、政府側からは文科省、内閣府、内閣法制局から官僚が出席。「全国民が国葬に反対しても、閣議決定さえすれば、税金を使って国葬は可能か」といった質問に対し、政府側は「内閣が意思決定すれば、行政はその通りに動く」と答えた。

 金平氏は「安倍元首相の国葬をめぐり、国民の賛否が大きく分かれる中、内閣法制局の担当者が野党ヒアリングでこんな主旨の答弁をしていました。"全国民が国葬に反対しても閣議決定をすれば国葬は実施できる"」と指摘。「かつては法の番人と言われた内閣法制局の現在の、実に情けない姿です」と厳しい言葉で批判した。

 政府は安倍元首相の国葬を9月27日に実施することを閣議で決定したが、全額国費で行われることなどから国民の間で賛否が分かれている。


2022年8月23日火曜日

コピペ 政府が統一教会問題追及へ、韓鶴子を讃えた安倍氏の「国葬」との整合性はゼロ JBpress

(作家・ジャーナリスト:青沼 陽一郎)

 政府の「旧統一教会問題関係省庁連絡会議」の初会合が、18日に開かれた。

 統一教会(現・世界平和統一家庭連合)のいわゆる霊感商法などの不法行為の相談や被害者救済に、関係省庁が連携して取り組むためのもので、法務省を中心に、警察庁、消費者庁、それに内閣官房孤独・孤立対策担当室が参加。来月から1カ月程度、「相談集中強化期間」として集中的に相談を受け付けることを決めた。期間中は各省庁の担当者らが東京都内の1カ所に集まって、教団をめぐる相談に幅広く対応するという。相談内容は連絡会議に上げて対処するそうだ。

 これにはあらゆる面で、とにかく驚かされた。

被害の実態把握もないまま「閣僚候補」に教団との絶縁迫る

 この初会合に先立ち、岸田文雄首相の指示により連絡会議を主宰することになった葉梨康弘法務大臣は、15日の閣議後の記者会見で、「各省庁でしっかりと情報を共有しながら、実態把握に努めていくことになる」と語っている。

 また、記者から、いわゆる「2世信者」も対象になるのか、との質問には、「もちろんそこは幅広く考えていく」と答えて、対象となることを認めている。

 まず驚いたのは、いまごろ被害の「実態把握」に省庁が連携して取り組むことだ。裏を返せば、政府としてまとまった被害の実態把握が、これまでできていなかったことになる。

 岸田首相は、10日の内閣改造後の記者会見で、統一教会の問題に触れ、「社会的に問題が指摘されている団体との関係については、国民に疑念を持たれるようなことがないよう十分に注意しなければなりません」とした上で、こう明言している。

「国民の皆さんの疑念を払拭するため、今回の内閣改造に当たり、私から閣僚に対しては、政治家としての責任において、それぞれ当該団体との関係を点検し、その結果を踏まえて厳正に見直すことを言明し、それを了解した者のみを任命いたしました」

 そうすると、具体的な被害実態の裏付けも根拠もないまま、「社会的に問題が指摘されている」という曖昧な理由で、統一教会との絶縁を迫ったことになる。

結局は閣僚や党役員にも「濃厚接触者」

 政権の座にある者が、ある特定の宗教団体を名指しして排除することは、憲法違反にあたる。そのことは以前にも指摘した(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71397)。ましてや、統一教会は国が認証した宗教法人でもある。その社会的問題や被害実態の確証もないまま、法的根拠もなく、首相が排除を求めるとは、もはや恣意的とさえ言える。「法の支配」が聞いて呆れる。

 そんな曖昧さだから、時事通信によれば内閣改造で入閣・留任した閣僚の少なくとも7人に、統一教会との接点が判明。連絡会議を主宰する葉梨法相も、過去に統一教会系の雑誌のインタビューに応じていたことを認めている。今回入閣した高市早苗経済安全保障担当大臣は、改造前日に教団との関係を岸田首相に伝えているが、任命方針は変わらなかったという。

 さらには、同時に行われた自民党役員人事でも同じ条件を求めたはずが、経済産業大臣から横滑りした萩生田光一政調会長が、先月の参院選で初当選した、元「おニャン子クラブ」の生稲晃子参院議員を伴って、選挙遊説中に八王子市内の教団関連施設を訪問していたことが発覚。これで責任問題を曖昧にするとなると、世論が納得しないはずだ。

「2世信者」は皆、救済対象なのか

 そして、いわゆる「2世信者」についても救済の対象とする曖昧ぶりだ。

 これは吹聴するマスコミにも問題はあるが、そもそも「2世信者」の定義がいい加減に過ぎる。

 両親がある宗教団体の信者で、そこに生まれた子どもも入信した、あるいは入信させられた時点で、誰もが「2世信者」と言える。それで子どもが信心を得て納得していれば、問題はないはずだ。本人も心が救われて幸せでいられる。まさに「2世信者」として、教団の運営にも積極的に臨み、やがて「3世」や次世代へと教えが受け継がれていく。

 統一教会の場合だと、かつて社会問題化した「合同結婚式」がある。創始者の文鮮明が決めた相手と儀式によって結婚する。先立つ恋愛感情はない。そこに生まれた子どもは不幸だろうか。

 私も、そうして生まれた「2世」を知っている。実は、安倍晋三元首相の襲撃事件のあと、しばらくして会いにいった。正直、心配だった。だが、それも杞憂であったことは、笑顔で仕事をしている姿から知った。やはり家庭が抱えた事情や生い立ちは複雑で、苦労したというが、いまはそこから抜け出し、好きな仕事に就いている。直属の上司にも、私に告白したように内々に事情は伝えたところ、差別されることもなく、むしろ支えられている。決して不幸ではない。

 そうすると問題の本質は、親からの強制によって信者にさせられたり、自由を奪われたり、教育費も教団への献金に充てられて進学を断念したり、人生の選択が失われたり、あるいは親が宗教に依存するあまりに放置されたり、いわば迫害を受けている子どもたちに限られる。それは即ち、親から子どもへの虐待が正体であることを理解していない。この論点に関してはすでに詳述しているが(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/71081)、これは統一教会の問題というより、虐待の遠因に親の宗教があるだけで、他の宗教にもあてはまる。

2世が直面する困難は信仰の問題ではなく虐待の問題

 しかも、宗教とはまったく関係がなくても、児童虐待そのものが、家庭内のカルトの構図から引き起こされることも少なくない。たとえば、2019年に千葉県野田市で小学4年生の女児が両親からの継続的な虐待を受けて死亡した事件。

「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたり、たたかれたりしています。先生、どうにかできませんか」と死亡する2年前に、文書で担任に告白していたにもかかわらず、大人が救えなかった事件だ。

 これは家庭内で父親が絶対的な支配者として存在する。暴力や経済的な事情もあって、そこで母親は夫の指示に逆らえない心理的状況にまで追い込まれる。そうしていつの間にか子どもを死に追いやる。事件として発覚して、隷従関係から解放される。そこに共犯者としての母親すらも、被害者としての側面を持つ。これがカルトの構図だ。

 そうすると、最初に戻って「2世信者」として自分が納得していても、傍から見るとカルトであったり、反社会的性質を持つ団体であったりした場合、彼らも被害者として救済対象となるのだろうか。あるいは、親が宗教にのめり込んで結果的に子どもを虐待していたら、親に対してどこまで踏み込めるのだろうか。いずれも宗教の自由に抵触することはいうまでもない。

 まして、この件に関して与党のはずの公明党が黙っていることも驚かされる。支持母体でも親の支配から抜け出せない「2世問題」があることを私は知っている。

 そこに加えて驚いているのは、この統一教会をめぐる問題が、元首相を選挙演説中に背後から襲って命を奪ったテロリストによって、政府までも動かされていることだ。安倍氏を襲った山上徹也容疑者(41)が、逮捕後に「母親がある宗教団体にのめり込み、多額の寄付をして家庭が崩壊したことから団体に恨みを持ち、つながりのある安倍氏を襲った」という趣旨の供述をしていることが伝わり、その宗教団体が統一教会であったことから、世論が巻き起こった結果だ。

 おそらく山上容疑者は、こうなることまで計算したのではなく、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎し」という言い回しがしっくりくる動機で襲撃したのだろう。それでもテロリストに凶行を決意させた胸の内の懊悩が、日本政府を動かしてしまっている。

統一教会総裁を賞賛した安倍氏の国葬を行う一方で、統一教会関連被害の実態調査

 そして、私がもっとも驚いていること。統一教会の問題をめぐる省庁連絡会議は、来月の初旬あたりから1カ月程度の「相談集中強化期間」を設けて、被害の実態の把握に乗り出す。表面化していない深刻な被害がまだまだあることを前提としたものだ。そうすると時間を追うごとに、それも9月の終わりに近づけば、被害の大きさも見えてくるはずだ。

 9月27日には、安倍元首相の「国葬」がある。

 安倍氏は昨年の9月、統一教会の創始者である文鮮明の妻で、現在の教団の頂点に君臨する韓鶴子が、やはり総裁の地位にあるNGO「天宙平和連合」にビデオメッセージを送っている。そこで安倍氏はこう明言していた。

「韓鶴子総裁をはじめ、皆さまに敬意を表します」

 これを見た山上容疑者が安倍氏を襲う決意をしたことも伝えられている。

 政府によって教団による被害実態が明らかになればなるほど、どうして加害者の首領を称讃する言葉を吐いた首相経験者を「国葬」にしなければならないのか、疑問が積み重なるはずだ。いうなれば、国民を蝕む日本の敵に味方する愚か者に、国費を注ぎ込んで国を挙げて葬式を出してやる必要がどこにあるのか。そのウラ取りに、このタイミングで政府が一丸となって邁進する現実。「国葬」という「国恥」を世界にひけらかすようなものだ。

「国葬」を決めた根拠も曖昧なら、やることなすことがちぐはぐだらけで暴走している。こんな首相が台湾有事にどう反応するのか、いまから怖くて仕方ない。