2015年8月9日日曜日

「侵略の定義は決まっていない」かもしれないけど、

少なくとも加害者側が言うことではありませんね。
 
受けた側が言ってくれるのなら有難いことですけど。
 
自分がやったことではないからこそ「あのときはご先祖が失礼しました」という気持ちを持って接することはしやすいと思うんだけど(自分がしたことのほうが謝りにくいでしょ)。
 
そう思って接すれば外交はうまくいくとも思います。 
 
それなのに、A級戦犯とされる人達が祀られる神社に公式参拝なんて我を通していてはうまくいくものもいきません。
想像力のない人が総理大臣になるとこうなるんだなぁ
 
英霊の御霊とやらを本当に弔いたいなら場所なんて関係ないのに。
彼等は地縛霊じゃないよ。
 
本当にそういう気持ちを持っていれば、ポーズを見せなくても行動の端々に現れるはず。
 
日本を取り巻く環境が変わってきているなら、本当に必要だと思うなら正々堂々と憲法改悪すればいい。
 
でも今必要なのは、軍備をちらつかせて威すような外交じゃなくアメリカも中国も丸め込んでうまいことやる、大阪のオバちゃんみたいな外交ではないでしょうか(どちらも相手とやりあいたいとは思ってないはずだもの)。
 
それをやる能力がないからといって「集団的自衛権」を強引に持ち出すから国民の納得は得られないのに、そこも分からずに国民が悪いみたいに考える人たちに教育のカリキュラムをいじられるのは本当に恐ろしい。
(「倫理」を無くすって言ってるもんね。まあ、倫理観がない人には関係ないかもだけど)
 
そのうちに文系の大学は無くなって、理系大学と防衛大だけになるんじゃ。
そして、落ちこぼれた人が政治家になる…
 
「1984(ジョージ・オーウェルの方)」を読んだことがある政治屋さんとかいないんだろうなぁ