2010年7月18日日曜日

幸せのセラピー

というタイトルの映画のビデオ(というと古い言い方になるけど、DVDはビデオディスクなんだから、ビデオでいいじゃんということで)を観て。

映画自体は本当に下らないというか、「これで観客からお金をもらえるのか?」という感じの作品なんですけど、何となく今の自分の考えにはまったので。

単に、どんなに将来有望で、お金が儲かる可能性があるとしても、嫌なもんはイヤと言うべきで止めることが幸せに通じるってだけの話なんですけど(ナイトミュージアム2にも通じる発想ですね)。

いつも、私には願いがなくなったというようなことを書いていますが、本当は形が変わっただけなのかもしれません。

若い頃なら、正しくないことだとしても、他人に不利益を与えてしまうことが分かっていても、自分の望みを叶えるために心の力を使うことができるんですけど、年を取って周りが見えてきてしまうと、もうできないんですよね。

自分だけの幸せは、「幸せ」ではなくなってしまっているのです、いつの間にか。

なので、何かを祈ったり、願ったりしなければならない時には「全てが良くなりますように」としか言えなくなっているのです。

家族がいて、お子さんがいるとそうも言ってられないでしょうから、世の中には独り者がいて、みんなの幸せを願う必要があるのかもしれませんね。

あ、映画には全く関係なかった。
しかし、手放す勇気については考えさせられるラストでした。
愛する者のために、愛する者自身さえも手放すことは難しいですよね。

2010年7月10日土曜日

踊る大捜査線3

織田裕二と柳葉敏郎が不仲で同画面での共演がないとか、柏木雪乃役の水野美紀が元所属事務所の圧力で出演できないとか、問題を抱えながら、早くも4の公開がありそうな踊るシリーズ最新作です。

回を重ねるごとに、派手というか大掛かりになってしまう必要があるのか疑問ですが、楽しめることは確かです。
昨年のアマルフィも不発に終り、ここの所ヒット作がない織田裕二にとっては頼みの綱と言えるかもしれません。

日本初、元夫の永瀬正敏と夫婦役を演じることも話題の小泉今日子さん、第1作ではハンニバル・レクター的な役でしたが、今回は日本のヒース・レジャー(ジョーカー)になるのでは、という怪演です。

「お金がない」で末っ子役だった森廉くんが大人になってました。
青島くんの「君、どっかで…」って台詞がなかったらエンドロールをチェックしてなかったであろう変わり様でした。
あれから15年はたってるもんね、当然ですが。

和久さん、亡くなっていてるのにみんなの心の中に生きていて、精神的な支柱となっています。
人は死ぬだけでは終りではないことを感じさせてくれます。

最近、いろんな場面で、必要なことは全て自分(過去)の中にあるというようなことを目にします。
この映画でも、そのようなことが描かれているように感じます。

新しいもの(自分にないと思うもの)を詰め込むことが幸せに繋がるとは限らないということが分かるようになるのは歳を取った証左ではあるけれど、喜ばしいことなのかもしれないと思うこと自体が歳ってことかな。