2010年5月30日日曜日

自転車

2年ほど前に楽天で安く買った自転車に乗っています。
安いと折り畳みが多いけど、そうじゃないMTBタイプだったので、飛びつきました。

安いので、いろいろと難はありましたが、特にひどいのは後輪の泥除けです。
雨が小降りで地面が濡れていると、降る雨より後ろから跳ねる水の方が多いのです。

雨の日はとても憂鬱でした。

それでも取り敢えず付いているので、仕方なく使っていましたが、先日ついに壊れました。

この機会に買い換えも考えないではありませんでしたが、まずはお隣の自転車屋さんに泥除けが手に入るかを尋ねてみました。

割とすぐに手に入るけど、お値段は高目ということでしたが、お願いすることにしました。

「土日は手に入らないから、来週の月曜日にでも」ということでしたが、土曜の午後にはゲットしてくださり、早速付けていただきました。

お値段は高めの4千円。
1万円ちょっとの自転車に4千円の泥除けってどうよ…

預けて1時間後に引き取りに行くと、薄汚れた自転車にぴかぴかの泥除けが眩し過ぎます。

ふと見ると、自分で付けたのでゆがんで付いていたハンドルが真っ直ぐになっているし、ぐらついていたサドルも直っています。
タイヤの空気もパンパンで、快適になっていました。

さらに、料金までおまけしてくれました。

ほぼ毎日顔を合わせながらも、なかなか利用できなくて申し訳なかったのに良くしていただき感謝です。

これも、ご近所と良い関係を保ってくれている大家さんのジローさんのおかげです。
ありがとうございます。


くどくなるかもだけど、やっぱり恵まれすぎのような気がしています。
こういうのも、サバイバーズ・ギルティの一種なのでしょうか。

前の週の土曜日は訓練校の同級生と飲み会でした。

誰も知らない街で、本当なら孤独になってしまってもおかしくないのに、こうやって楽しく過ごせることを幸せに感じます。

私の向上心が少ないのかもしれませんが、(些細な)いろんなことが嬉しいのです。
特に何ということもない暮らしなのに、これで嬉しくていいのだろうかと不安になります。

変ですね。

2010年5月17日月曜日

昨日の補足

本当に、現状が嫌とか夢や希望がないことが辛いとかいうことはなくて、こんな気持ちのまま幸せであることが申し訳ない気がするだけです。

宇野さんだっけ、養子縁組した後に殺された元派遣社員の人。
あの人はきっと誰かとつながりたくて、彼女なりに必死に頑張った結果がああなってしまったのですが。

それに比べて私は頑張ってもいないのに、遠くにいても繋がってる同級生がいて、訓練校にも行けて、その結果こちらでのお友達も出来て、職場にも恵まれて(ドサ回りはありそうですが)、頼りになる若い大家さんにも恵まれてしまっているなぁと罪悪感を感じてしまうのです。

梅干をおかずに玄米を食べる時にも、あまりのおいしさに本当に幸せを感じてしまうんですけど。
「丸儲け」を地で行ってると思います。
なくしていたはずの命ですから。

死ぬはずだった私がこうして生きていて、必死に生きようとしていた人が死んでしまう不思議。

今のささやかな望みは、パナショー(という自然酵母を使ったおいしいパン屋さん)のくるみレーズンパンをお昼に食べられる位には稼ぐことと、パリ丼を食べに行くことって、本当にささやか過ぎる…

もうちょっと大きな目標は、仕事で結果を出して、年取った新人だって捨てたものじゃないと会社に認識してもらって、中高年の雇用促進に貢献することかな。

おっ、これなら何か残せることになるのかもね。

2010年5月16日日曜日

平穏すぎる1週間が過ぎました。

まだ仕事らしいことはおろか、教育も進んでいないので当然なんですけど。

物事が順調に進むと不安になるのは悪い癖ですが、不安になるにも理由があります。

「思考は現実化する」といったのは、マーフィーさんでしたでしょうか。
それが本当だとすると困るな~って感じなのです。

ここしばらくっていうか、こっちに来てからの私には夢や希望がないんです。
とりあえず暮していければいいか~くらいのもんで。

そもそも、こちらに来たのは何かを良いほうに進める為ではなく、死ぬ時に最後に見るのがストーカーの顔では自分が余りに可哀相なので、そうならない為だけに仕事も暮らしも持ち物も全部捨てただけだったので。

働くつもりはなく、暮しに行き詰ったらそこまでだという気持ちがあったので、毎日3時間ウォーキングして生きる力の元になりそうな本を読んでも、日に日に精気がなくなり死人のような顔になっていきました。

2ヵ月後に思いがけず働くことになってみて、労働の必要性を感じました(少なくとも私には)。
忙しくしていると余計なことも考えないし。

いろんな方々のお陰で、何とか無事に現在があるわけですが、物の他にも失ったというか手放した部分があります(私は対価だと思っていますが)。

それが、夢や希望に当たると思うのです。
かつては希望というか欲望に忠実だったはずなのに、そういう燃えるようなものが自分の中から消えちゃってるのが分かってしまうと寂しい気がします。

とりあえず、それで困ることはないでしょうけど、こんな自分のままでいいのかな的な疑問を抱きつつ生きていくのでしょう。

もう、以前のように誰かを好きになって、些細なことで喜んだり落ち込んだりすることもないのかも。

今の暮らしに不満があるというわけではなく、こんな自分では誰にもあげられないなって思うだけなんですけど。

それでも、こんな自分でも楽しく暮していて、誰かに影響を与えてしまうことはあるので、不思議だな~と思い、悪い方に行かないように気をつけて生きていきます。

2010年5月9日日曜日

働き始めました。

連休明けの6日から働くことになりました。

従業員4人の計装の会社に就職したはずなんですが、元請けの会社に出向ということになり、25歳までの人しか採用していない業界では有名な会社で働くことになってしまいました。

この不況時に、昨年度も予算を無事に達成しているなんてなかなかない会社です。
しかも、程よい緩さがあって、社長の人柄を感じます。

電気工事なら最初から働くことになるところですが、計装となると知識を固めてからでないと働かせられないのか、研修にしばらくかかりそうです(3月中に入社していた職訓の同級生も未だに研修中)。

お給料はお安くなりますが、働いてもいないのに頂くのは心苦しいものです。


2日しか出社していないのにも関わらず、昨日は新入社員の歓迎会にもお招きいただいてしまいました。

社長とお話ししていたら、どうも私が電験三種の3科目を取っていることで、すごく頭が良いと勘違いして期待しておいでの様子。

うちの社長も、どうも似たような考えらしく、参ったな~って感じです。

目的があって、時間もあっただけなんです。

あんまり期待されても困るんですけど、2つの会社に変化ぐらいは起こせるかもと思うとワクワク感もあります。

先ずはできることから、今年は電験三種の理論をやっつけて、皆さんに認めてもらわねば(仕事は勿論)。