2022年4月28日木曜日

コピペ 日本が「ウクライナ感謝国リスト落ち」していた理由、“千羽鶴カルチャー”で空回り DIAMOND online

応援してきたのになぜディスられ、感謝もされない!?

日本人がこんな気持ちになる背景

「これだけ支援しているのにナチスと同じ扱いだわ、感謝もしないってのはちょっとひどいんじゃない?」

 ウクライナの「塩対応」にネットやSNSではそんな憤りの声があふれている。きっかけは、ウクライナ政府の公式Twitterがおよそ1カ月もの間、「ファシズム」の象徴として昭和天皇をヒトラーなどと並べた動画を投稿していたことだ。

 日本政府が正式に抗議をしたことで昭和天皇の画像の部分は削除されたが、さらに驚くようなツイートがあった。

 なんと今度はウクライナ外務省の公式アカウントが、ウクライナを支援している31カ国への感謝を述べる動画をアップしたのだが、何度見てもそこに「Japan」がなかったのだ。

 ご存じのようにこの2カ月、日本はロシアへの制裁に力を入れてきた。「人殺し」「日本から出てけ」などと在日ロシア人が脅迫や嫌がらせにあうほど、政府や国民が一丸となってウクライナを応援してきた。

 にもかかわらず、「感謝する国」の中に入っていない。この事実を前に、「打倒プーチン」「国際社会で協力してロシアを叩きのめせ!」と叫んでいた人々がなんだかビミョーな空気になっているのだ。

 ウクライナ大使館によれば「武器提供してくれた国に対する感謝」だそうだ。「軍の認識不足」を指摘するウクライナの方も多いが、これらの釈明にしっくりきていない人も多い。「感謝国」の中に、武器や弾丸の支援を拒否しているブルガリアや、トルコが入っているからだ。

 トルコはNATO(北大西洋条約機構)に加盟をしているにもかかわらず、ロシアへの制裁を拒否しており、現在まで良好な外交関係を維持している。民間企業はドローン兵器をウクライナに売っているが、国としては「武器を提供していない」というスタンスだ。また、4月18日にロイターが報じたところによれば、ウクライナ侵攻開始以降、10万人以上のロシア人がトルコで住民登録を申請している。その中にはプーチン政権を支える新興財閥・オリガルヒもいて、経済制裁の抜け穴になっているのだ。

 そんなロシアを支えるトルコに「感謝」が述べられているのに、ロシアへの制裁を強めて、ロシアの外交官を国外追放にまでした日本は、元ファシズム国家とディスられ感謝もされない。愛国心あふれる方でなくとも、モヤモヤしている人も多いのではないか。

 では、なぜこんなことになってしまうのか。

千羽鶴カルチャーのせい?

「思い」を尊重しがちな日本の文化

 憲法9条が悪い、日本の外交力・発信力の弱さのせいだ、などいろいろなご意見があるだろうが、本質的なところでは、先日大きな論争に発展した"千羽鶴カルチャー"が大きいのではないかと筆者が考えている。

 ご存じのない方のために説明をすると、ある団体がウクライナに千羽鶴を送る計画を公表したところ、「2ちゃんねる」創設者のひろゆき氏(西村博之氏)が自身のTwitterでこんな問題提起をしたのである。

<千羽鶴とか『無駄な行為をして、良い事をした気分になるのは恥ずかしい事である。』というのをそろそろ理解してもらいたいと思ってるのは、おいらだけですかね?>(4月16日)

 これを受けて、「戦争で逃げ回っている人たちが千羽鶴もらっても困るだけ」「相手の立場に立って、お金を送るのが一番」と共感する声も多くあった。筆者も東日本大震災の時に、避難所へ物資を届けにいったことがあるが、千羽鶴が山積みで放置されていたのを見たことがある。被災者の方たちが「気持ちはありがたいけど正直、迷惑」と困惑していたのをよく覚えているので、ひろゆき氏の言わんとしていることはよくわかる。

 その一方で、ひろゆき氏の意見に異を唱える人たちもいた。ワイドショーのコメンテーターの中には、「お金を送れというが、お金のない人でも何かしてあげたいと思ってはいけないのか」とか「平和を祈る気持ちは尊いものなので、それを否定するのはいかがなものか」などと擁護する人たちもいた。

 わかりやすく言うと、これが"千羽鶴カルチャー"である。日本には相手が何を欲しがっているとか、どんなことに困っているとかよりも、自分たちの「思い」を尊重しがちな文化がある。「もらう側」ではなく、完全に「あげる側」の論理が強いのだ。

 そんな"千羽鶴カルチャー"こそが、日本の国際貢献がイマイチ相手に伝わらない理由のひとつではないか。

「オレやってやったよ!」

日本の支援がウクライナの印象に残らない理由

 例えば、今回のウクライナ支援を振り返ってみよう。防弾チョッキを送るのも、市販のドローンを送るのも、日本側からすればかなり頑張ったという自己評価だろうが、周辺のNATO加盟国はそれ以上の手厚い軍事支援をしてくれている。ロシア軍を最新兵器で駆逐したいと願うウクライナ政府の立場になれば、日本の支援は正直それほど印象に残らない。

 ロシアに経済制裁をして外交官を国外追放にしたのも、日本からすれば「西側諸国のみんな、見てくれた?オレやってやったよ!」とドヤ顔になるような英断だが、ロシアの天然ガス輸入禁止も議論されている欧州と比べるとどうしても霞んでしまう。

「あげる側」の達成感・満足感ばかりが重視されているので、「もらう側」にはイマイチありがたみが伝わらない。厳しいことを言わせていただくと、口では「ウクライナのため」と言いながら、「日本のため」になることしかしていない。もちろん、どんな国でもそういう側面はあるのだが、日本の場合はそれが露骨で出てしまい、バレバレなのだ。

 本来、日本がウクライナの人々の命を救うためにできることは、トルコのようにロシアとの「対話」を続けて、避難ルートを確保しながら戦争終結の道筋を模索することだった。西側諸国のように軍事支援が法律的に不可能なので、トルコのような「仲介」で貢献できたのである。

 しかし、日本は西側諸国にくっついてロシアを追い詰める方にまわる。

 もっともらしいことを言っているが、これは「保身」ということが大きい。中国とロシアの脅威に晒されている日本は、アメリカとNATO側にくっついて貢献と忠誠をアピールしておいた方が安心だ。軍事支援ができないくせに、軍事支援をするグループに入るという中途半端な立ち振る舞いは、すべて「日本のため」のポジショニングである。

 そんな「あげる」側の自己満足的な支援なので当然、「もらう側」であるウクライナの人々の心には刺さらない。ミサイル攻撃の恐怖におびえる人々が、千羽鶴を受け取っても「ありがとう」とならないのとまったく同じ構造である。

千羽鶴の国際社会での意味を再考すべき

送る相手をプーチン大統領に

 このような話をすると、「千羽鶴」を送ろうとした計画していた団体の方や、擁護をしている方たちはさぞ気を悪くされるだろう。ただ、筆者はこれまで述べた"千羽鶴カルチャー"というものは問題だと考えているが、ひろゆき氏のように千羽鶴自体を「無駄」とは考えていない。

 むしろ、皆さんがやろうとした、平和を願って千羽鶴を折って送るという行為自体は大賛成だ。しかし、送り先には賛同できない。今回、千羽鶴を送るべき相手は、ウクライナの人々ではなく、ロシアのプーチン大統領だからだ。

 東日本大震災でのイメージが広く伝わったことから、千羽鶴というのは「過酷な目にあった人たちへのエール」のような役割だと勘違いをしている人が多いが、実は国際社会では、千羽鶴はもともと「核兵器への抗議」という明確なメッセージがあった。

 千羽鶴は、1955年に原爆症で亡くなった佐々木禎子さんという12歳の少女が、自身の病の回復を願って死の直前まで鶴を折っていたことで「平和の象徴」として国際社会に広まった。広島平和記念公園にある「原爆の子の像」が金色の折り鶴を捧げているのは、禎子さんの逸話からだ。

 こういうルーツなので、「千羽鶴」は戦後、核開発競争にのめりこむ米ソを中心にさまざまな国で、「もうこんな悲劇を繰り返すのはやめましょう」というメッセージに用いられるようになった。

 例えば、1958年、禎子さんをモデルにした児童劇映画「千羽鶴」が制作された。実はこの作品には、原爆病院を撮影に訪れていたソ連の記録映画作家も飛び入り出演して、原爆症に苦しむ人々を助ける基金にカンパする姿がおさめられている。

 また、プーチン大統領がKGB(旧ソ連国家保安委員会)の諜報員として旧東ドイツに駐在していた1986年には、ソビエト連邦共産党中央委員会に付属する「世界の子供に平和を」委員会が、アンネ・フランクなどとともに佐々木禎子さんの名前を冠した「4人の少女記念賞」というものも制定した。

 千羽鶴が持つメッセージは80年を経た今も色褪せていない。それを象徴するのが21年、アメリカでNPO「オリヅル基金」を設立して、真珠湾の戦艦アリゾナの追悼施設に、「サダコの折鶴」を展示するために尽力した、クリフトン・トルーマン・ダニエルさんだ。原爆投下を命じたトルーマン大統領の孫であるダニエルさんは、「原爆は戦争終結のために必要なこと」という教育をずっと受けてきたが、1999年に考えが変わるようなことがあった。

<広島で被爆後、白血病が治ると信じて千羽鶴を折り、12歳で亡くなった佐々木禎子さんの物語を、10歳だった息子が学校から持って帰ってきたことがきっかけだった>(朝日新聞デジタル2016年5月28日)

 つまり、国際社会で千羽鶴というのは「核兵器の恐ろしさ」をあらためて思い出すために使われることが一般的なのだ。実際、オバマ元大統領も広島を訪問した際には、鶴を折ってきて原爆資料館に手渡すというサプライズをしている。

 ここまで言えば、なぜ筆者が千羽鶴をウクライナではなく、ロシアのプーチン大統領に送るべきだということが、ご理解いただけたのではないか。

ロシアとの「千羽鶴外交」を模索できず

日本国内で変化した千羽鶴の意味

 プーチン大統領はロシアを守るためには核の使用も辞さないと述べて、世界中に衝撃を与えた。

 これに真っ向から抗議をして、平和の象徴である千羽鶴を用いてロシアを説き伏せる国として、国際社会に期待されていたのが唯一の被爆国である日本だった。

 なぜなら、岸田文雄首相は、被爆地・広島の選出であり、これまでも「核なき世界」を訴え、一般社団法人千羽鶴未来プロジェクトの会員も務めているからだ。

 例えば、ロシア大使館に大量の千羽鶴を送りつけて、「これをプーチン大統領に渡して、禎子さんの千羽鶴の逸話を思い出してほしい」とメッセージを出してもよかった。西側諸国の真似をして、ロシア大使を国外追放して「やってやったぜ」と満足して終わるのではなく、ウクライナに人道支援を続けながら、粘り強くロシアに核兵器の使用を控えることを訴えて、休戦と対話を求めていくという日本独自の「千羽鶴外交」という道もあったのである。

 個人的にはこちらの方が、ウクライナの「感謝国リスト」に入れてもらえたのではないかと思っている。

 大して効果のない経済制裁で、対立をあおって戦争を長期化させるよりも、戦争終結へ向けて、日本は自国の意志で動くことができる国だということを、ウクライナにはもちろん、国際社会に強く印象づけることができるからだ。

 ただ、残念ながらもう日本は西側諸国側についているので、ロシアと「対話」できる立場ではない。アメリカ様とNATOがウクライナに兵器を提供して、ロシアとの戦いを継続していく以上、日本もとことんお供をしていくしかない。

 国際社会に「核なき世界」を80年訴えてきた被爆国が、核保有国を武力で追いつめていく、というなんとも皮肉なことになっているのだ。これは日本人の中で「千羽鶴」の持つ意味が変わってきたことが大きいと思っている。

「核の恐ろしさ」を訴えていた千羽鶴は、いつの間にやら「必勝成就」という真逆の意味をもってそれが主流になってきた。きっかけの一つが、高校野球。甲子園を目指すナインのため、女子マネージャーが予選にひとつでも生き残れるようにと願をかけて千羽鶴を折った。

 こういうことを言うと、高校野球ファンに怒られるが、やっていることは戦時中、銃後の女性たちの間で大ブームとなった「千人針」とまったく同じではないか。これは戦場で弾をよけて、生きて帰ってこれるようにと願いを込めて、千人の女性が一針ずつ縫う白木綿の布のことだ。千羽鶴は、「球児たちに甲子園まで生き延びてほしい」と願う、女子マネージャーたちの「千人針」なのだ。

 こういう「思い」を日本では何よりも尊いものだと考えてきた。だから高校野球では、負けたチームが勝ったチームに千羽鶴を渡していくという奇妙な風習が生まれた。近年は相手チームが迷惑だということで禁止されることも多くなった。被災地で迷惑がられる千羽鶴もこれと同じ構造である。

 相手の事情よりも自分たちの「思い」を大切にしろ、とやけに押し付けがましいところなど、日本のウクライナ支援とも見事に重なる。そろそろ自己満足的な"千羽鶴カルチャー"を見直すべきではないか。

(ノンフィクションライター 窪田順生)


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