本当に、現状が嫌とか夢や希望がないことが辛いとかいうことはなくて、こんな気持ちのまま幸せであることが申し訳ない気がするだけです。
宇野さんだっけ、養子縁組した後に殺された元派遣社員の人。
あの人はきっと誰かとつながりたくて、彼女なりに必死に頑張った結果がああなってしまったのですが。
それに比べて私は頑張ってもいないのに、遠くにいても繋がってる同級生がいて、訓練校にも行けて、その結果こちらでのお友達も出来て、職場にも恵まれて(ドサ回りはありそうですが)、頼りになる若い大家さんにも恵まれてしまっているなぁと罪悪感を感じてしまうのです。
梅干をおかずに玄米を食べる時にも、あまりのおいしさに本当に幸せを感じてしまうんですけど。
「丸儲け」を地で行ってると思います。
なくしていたはずの命ですから。
死ぬはずだった私がこうして生きていて、必死に生きようとしていた人が死んでしまう不思議。
今のささやかな望みは、パナショー(という自然酵母を使ったおいしいパン屋さん)のくるみレーズンパンをお昼に食べられる位には稼ぐことと、パリ丼を食べに行くことって、本当にささやか過ぎる…
もうちょっと大きな目標は、仕事で結果を出して、年取った新人だって捨てたものじゃないと会社に認識してもらって、中高年の雇用促進に貢献することかな。
おっ、これなら何か残せることになるのかもね。
1 件のコメント:
ささやかな事に感謝できるって素敵です。
くろのすさんの、
年取った新人だって捨てたものじゃないと会社に認識してもらって、中高年の雇用促進に貢献することかな。
いいですね!私も、同じように頑張る為にも仕事早くみつからないかなああああって思ってます。
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