2012年4月3日火曜日

読書にも対価?

私達は、何かを食べて消化・分解・吸収するのにも対価を必要とします。
自分(の一部)を捧げて初めて、食べた物を自分に同化することができるのです。
 
もし、飢えてすっからかんになってしまったら、目の前に食べ物があっても食べられません。
 
まずは、水から始めて薄いスープや重湯、徐々に濃いスープ・重湯にしていって、お粥と段階を踏んで自分が差し出せる物と食べ物のバランスを取る必要があります。
(この場合は酵素のことですね、ちょっと大袈裟な言い方をしましたが)
 
すっからかんの状態でいきなり固形物を食べれば吸収できないだけでなく、ひどい場合は死んでしまうこともあります。
 
油の強い食事をすると、その後疲れたり眠くなるのは自分を捧げている過程なわけです。
 
食事でそうなるのは理解していましたが、最近は読書でも自分を捧げている気がします。
読書の対価は時間だと思っていましたが、それだけでは済まないようです。
 
脳内で映像や音を作り出すのに酵素やアミノ酸がいるのはわかるけど、それを具体的に感じるほど疲れるなんて…
 
倍くらいのお歳でも、精力的に読んだり書いたりなさってる方もおいでだというのに情けない次第です。
でも、頑張って読みますけどね。
 
そのうち、音楽を聴くにも対価が必要になったりして。
 

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